乳がんになって見えてきたもの

乳がん告知から現在までの備忘録。好きなものも書きます。

形成外科

体調不良などがあり、久々の更新です。

 

乳腺外科の主治医に紹介してもらい、同じ大学病院内の形成外科を受診。

こちらは40代前後の男性の先生。穏やかな口調で丁寧に再建方法について、説明して

くれた。インプラントには抵抗があったので、自家組織での再建でどれにするかだな。

乳がんになるとは思ってもみなかったので、乳房再建についてもド素人。説明してくれ

る先生にわからないことや疑問点を何度も質問する。そのたびに嫌な顔ひとつせず、答

えてくれる。この先生に任せて大丈夫そうと実感。上からくるタイプのお医者さんは苦

手だし、特に男性ではなおさら。口調が優しいだけで安心する。

それにしても、自家組織での再建でも何種類もあって、本当に迷う。

乳房の全摘だけでだいたい4時間ほどの手術らしく、そこに再建が入るとプラス5~6

時間。あわせて10時間ほどの手術なんて人生で受けたことがないので、それだけでも

不安。資料ももらったので、2週間後の再診までにじっくり考えて決めないと...。

その2週間の間に手術前の検査が色々とあり、結果が出るまでは不安な日々。

他の部位に転移があると手術はできないらしいので、まずは転移がないことを祈る毎日

だった。

 

病院通い始まる

昨年のGW真っ只中に大学病院通いが始まった。

病院通い初日、いつもの主治医の先生(女医さん)がエコーを見ながら言った。

「しこりが中央に近いところにあるので、乳頭と乳輪もぐるりと大きく取ることになる

から、部分切除はおかしいことになるよね。周りだけ残す意味がないし。全摘プラス、

同時再建でいいんじゃないかな。」「えっ?!」私は頭が混乱した。全摘はなんとなく

覚悟していたのだけれど、同時再建って何?再建については多少知ってはいるけど、

同時って?先生は軽~く言うけどさぁ。患者は初めて乳がんって告知されて、分からな

いことだらけなんだよ~と心の中のつぶやきが聞こえたのか、「一回の手術で両方でき

ると思うから形成外科を紹介するね。」と言われて3日後に受診予約を取ってくれた。

今日はエコーの後、血液検査をして終了。これだけだけど、待ち時間、会計、何かと

大学病院は時間がかかって疲れた。それより、新たに再建問題が急浮上した為、考える

ことが増えてしまった。再建の方法などについては、形成外科の先生の説明を受けて、

相談していけばいいことだけど、再建自体が全く頭になかったので、どうするものかな

と自問自答する日々が続いた。

 

 

 

 

検索しまくりの日々

今の世の中、なんでもスマホ一つで調べることができる。

ただ、それが本当なのかどうか見極めるのが難しい。

何かのテレビ番組で、がんに関する検索で正しい情報は10%程度と言っていた。

それでも時間さえあれば、つい検索してしまう。どんな食べ物がいいとか悪いとか。

原因はこれだとか。でも、もうなってしまったのだから、今さら原因を考えるより、

これからの治療のことを考えようと思った。なので、検索してはみるけれど、その情報

をすべて信じないようにしようと心に強く誓った。あまりにもたくさんの情報があるの

でびっくりした。まずは、疑問があれば主治医に聞くことにしよう。

今まで標準治療と聞けば、普通の治療と解釈していたけれど、実際は最善の治療だと

テレビに出ていた東京のがん専門のお医者さんが言っていた。

自分が患者になってみないと、何も知らなかったんだなぁとつくづく思った。

何から始めれば

乳がんで手術が必要と言うことは理解した。でも、手術の前に色々検査が必要で、検査

結果次第では、手術ができないらしい。それは、そのとき考えるとして...まず、誰に報

告するかと考えた。両親、子供たち、友達...どの順番で?まずは、ご主人がお医者さん

で親しい付き合いの友達にLINEで伝えた。すぐに返信が返ってきた。

「もう病院は決めたの?」外科のご主人に聞いてくれたらしくた色々とアドバイスして

くれた。ただ、病院は主治医の先生の大学病院に決めていた。先生が私の早くしたいと

言う希望を叶えてくれて、早急に検査の予約を取ってくれたから。知り合いも手術した

ことがある実績のある大学病院だった。次に子供たち...私には結婚している長女と地方

の国立大学に通っている長男がいて、どちらにも自分の口から電話で伝えた。もっと驚

くと思っていたけれど割と淡々と拍子抜けするほど冷静に聞いていた。何だか少し寂し

い。自分が思っているより、子供たちは大人になっていたんだ。いつまでも小さい時の

ままで思ってたのは、私だけだった。私は7年前に再婚し、夫も私とは再婚だった。

思春期に離婚→再婚と経験した子供たちは成長していた。友達にはほとんどLINEで伝え

た。みんなすぐに返事をくれた。励ましや心配や共感や。友達の存在は本当にありがた

い。さて、両親に伝えるのが一番悩んだ。何故か自分の口から伝えられず、夫が母親に

電話で伝えてくれた。私が伝えたら母親が泣くんじゃないかと思ったから。

 

告知

不安な日々を過ごし、ついに検査結果を聞く日がやってきた。夫も同行することに。

主治医の先生は女医さんで、年齢は30代半ばくらいのはっきりものを言う明るいタイ

プの人。そんな先生が、扉を開けると神妙な面持ちで座っていた。そのとき、

「あぁ、これ良くない方かも」と直感で思った。挨拶して座る。先生が重い口を開く。

「残念な結果です、腫瘍は悪性...乳がんでした」

やっぱり。悪い方だった。以外にも冷静で、泣いたりもしなかった。頭が真っ白と言う

わけでもない。何でかな?乳がんと言われても、どこか痛いところがあるわけでもない

し、実感がない。だからまだ無感情なんだ。先生は、今までの自分の検診や検査につい

て、やれることはやってきたつもりだけれど、もしかしたらもっと早くに踏み込んだ検

査をした方が良かったのかもとも思うとか、申し訳なさそうに言ってくれた。

私は、怒りの感情は全くなかった。確かに、細胞診で一度良性と言われたことについて

や、エコーやマンモ、MRIまでしたこともあって、何でその時に見つからなかったのと

思ったりもしたけれど、先生の人柄と言うか、責め立てたりはできなかった。

先生が説明してくれてるとき、ふと横を見ると、普段は大きな夫の背中が丸く小さく見

えた。すごく落ち込んでる。私はそれが一番悲しかった。看護師さんが夫に、

「ご主人、大丈夫ですか?」って言うくらい。私は大丈夫って聞かれなかったけど。

ふと我にかえって、手術をすぐにして欲しいとか、乳がんになった知り合いに連絡を取

ろうとか、まず誰に知らせようとか現実的なことが頭をぐるぐる回った。

なってしまったものは仕方ない。これからのことを考えなきゃって、勝手に頭がそう思

ったのかな。いっぱい考えることが出てきたなぁと思いながら病院を後にした。

一年経った今でも、あの時の自分は不思議なくらい冷静だったと思います。

その冷静さがどこからくるものなのか、分からないけれど。

 

 

 

昨年の4月の出来事

もうすぐ乳がん告知から1年.....あの時の感情や気持ちの波も今なら落ち着いて考える

ことができると思い、超初心者ながらブログを始めようと思いました。

1年前は、多忙を極める仕事で適応障害になり休職中でしたが、そろそろ復職も考えて

いた頃。右胸に以前からしこりがあり、細胞診をして良性と言われてたけれど、経過観

察で半年に一度のペースで検診を受けていました。実は検診日の2ヶ月ほど前から、

「何だか大きくなったかも」と思ってはいたけれど、実家の父親が前立腺がんと分かり

通っていた日々の中で後回しにしていました。一度良性と言われていたから、安心して

いたのかも。そして検診の日、エコーをしながら主治医の先生も大きくなったことに気

付き、看護師さんに「針生研すぐ出来る?」と。看護師さんは「出来ます」と返事。

そして急遽予定になかった針生研をすることに。麻酔をするので痛みはそれほどではな

いけれど、「大きな音するけどびっくりしないで」と前置きされ、見たことないような

太い注射を付けたばねのような機械で「バシッ」×3回....私の胸、どうにかなってしま

うんじゃないかってくらいの音だった。

 

そして、胸がざわつく結果が分かるまでの日々が始まった。

大丈夫と何回も自分に言い聞かせる。と同時にネットで色々調べて不安になる.....そんな

毎日の繰り返しだった。